東京高等裁判所 昭和35年(う)2185号 判決
被告人 佐藤伊代治 外一名
〔抄 録〕
各所論は、要するに、原判決には事実の誤認があるといい、その理由として、原判決は被告人らは飲食代金の取立に藉口して金員を喝取せんとしたものと認定したが、被告人藤原は真実肝付兼一に対し飲食代金(十四万円余)債権を有していたし、被告人佐藤にしても、右債権の存在を信じ被告人藤原の依頼に応じて右債権の取立をする意図の下に、右肝付に対し請求をなしたものであつて、何らの権利をも有していないのにこれありとして請求をなしたものでもなければ、また、本来の権利以上に過大の請求をなしたものでもないのであるから、原判決が飲食代金の取立に藉口した行為であると認定した点については、重大なる事実の誤認が存在するというべきであるし、且つ原判決には右以外にも、被告人らが共謀の上金員を喝取しようと企てたと認定した点及び被告人佐藤が肝付に対し脅迫を加えたと認定した点につき、各判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認を冒しているから、原判決は破棄を免れないという趣旨の主張をしているのである。
よつて按ずるに、原判決挙示の証拠によつてみても、被告人藤原が肝付兼一に対し相当額の飲食代金、接待料等の債権を有していたこと、但し、本件当時における東京の銀座におけるバーの飲食代金、接待料等の計算の根拠、方法が必らずしも明確且つ合理的とはいいかねる点からいつて、その額が被告人ら主張の如き十四万余円に達することについては、これを明認できないにしても、少くともそれに遠くない額に達していたこと、被告人藤原はかねてから何回も肝付に対し、その支払方を請求していたが、何らの反応もなかつたのみならず、肝付はついに所在をも明らかにしないようになつたので、相被告人佐藤に依頼してその取立に協力してもらうことになつたこと、佐藤は藤原の依頼を承諾し、先ず肝付の所在をつきとめた上、原判示日時判示場所たる喫茶店プリンスに肝付を呼出し、同人に対し右飲食代金等の支払方について請求をしたことを各認めるに足ると同時に、右飲食代金等の債権が存在しないのに拘らず、その請求という口実の下に金員の支払を求めたものでないことはもちろん、過大の飲食代金等の請求をするという意図でもなかつたことも認めることができるから、原判決がこの点に関し、被告人らは飲食代金の取立に藉口して金員を喝取せんとしたと認定したのは、事態に即しない事実の認定であるといわなければならない。
更にまた、被告人佐藤が喫茶店プリンスにおいて、肝付に対して加えた脅迫行為として原判決の認定した各点については、原判決挙示の証拠中、原審証人肝付兼一の供述、被告人ら及び原審相被告人世古富次郎の捜査官に対する各供述調書等によれば、一応原判決のとおりの認定をすることができるようではあるが、当審における肝付兼一に対する証人尋問の結果によると、同人の原審における供述については必らずしも信を措き難きものがあると認められ、また、原審における被告人ら及び右世古富次郎の各弁解、当審における被告人らの弁解に徴すると、原判決が被告人佐藤が肝付に対してなした脅迫の内容として掲げたうち「お前なんてこんな細いやつ一人だし、こつちのようにからだがでかくて腕節が強い方が勝つんだから」とか「お前なんかは海に放り込めばそれでお終いだぞ、わけのないことなんだがそんな手間をかけたんじや煩らわしいから、そこまでは今夜はやらねんだ」とか「サツやムシヨは恐くないんだ」といつたという各点については、果してこのような言辞ないしはこれと同等同様の言辞がなされたと認めるのが相当であるか否かについては疑念なしとせず、換言すれば、原審が肝付兼一の証言、被告人ら及び原審相被告人世古富次郎の捜査官に対する各供述調書を罪証の用に供して前記脅迫の事実を認定したのは、事実の誤認であると疑うべき事由が存在するものといわざるを得ないのである。
果して然らば、原判決は以上各点について、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認をしている疑があるので、原判決中被告人両名に関する部分は、爾余の論旨につき判断をするまでもなく破棄を免れないものといわざるを得ない。論旨は結局理由がある。
よつて、刑事訴訟法第三百九十七条第三百八十二条に則り、原判決中被告人佐藤、同藤原に関する部分を破棄すべく、但し本件は当裁判所において直ちに判決をすることができる場合であると認めるので、同法第四百条但書に基づき、更に左のとおり判決をする。
すなわち、本件公訴事実は「被告人佐藤伊代治はいわゆる切り取り屋と称し暴力により債権取立てを常習としている不良であり、被告人世古富次郎は東京都中央区銀座七丁目三番地バー、アヴヨンの支配人、被告人藤原京子はアヴヨンの女給であつたものであるが、被告人三名は共謀のうえ、かつてアヴヨンの客であつた肝付兼一(当三十九年)のアヴヨンに対する飲食代金の取立に藉口して、同人から金員を喝取しようと企て、昭和三十五年二月十九日午後六時頃より同日午後十時頃までの間同区銀座西五丁目五番地喫茶店プリンスにおいて、被告人佐藤の若い衆加藤年男ほか数名と共に右肝付を取囲み、同人に対し被告人佐藤が凄味をきかせにらみつけながら「俺は世古と藤川から頼まれたのだから、頼まれたとおりあんたから金さえ貰えばいいいんだよ、これがやくざ同志ならすぐぶつ殺せばいいんだが、お前さんみたいなトウシロを消したつて面白くないからな、お前さん一人位はすぐ消して自動車に乗せ海にほうりこめばそれで万事終りだぞ、わけのないことなんだ」とか「俺達も子供ぢやないんだから十五万やそこらのことで幾日もかかつていられないんだ、我々はまだほかにも取立ての仕事が沢山たまつておりまだアヴヨンから百八十万円の取立てを頼まれているんだ」とか「払うのか払わないのか、払えなければこちらにも考えがある。俺達はこれが商売なんだからサツやムシヨは平気だ。何も一度に全部払えというんぢやない。分割払いという方法もあるんだから支払誓約書を書け」等と、被告人世古が「一切は佐藤さんに委せてあるから今後は同人と交渉してくれ」等と、被告人藤原が「私は貴方がこんな卑怯な男とは知りませんでした。佐藤さんなんかに頼みたくはないのだが、こうしなくちやあ貴方から取れないから頼んだのですよ」等と申し向け、もしこの要求に応じないときは、被告人佐藤等の不良グループから如何なる危害が及ぶかも知れぬような態度を示して脅迫し、同人を畏怖させ、飲食代金支払名下に現金十三万円を喝取しようとしたが、その後同人が警視庁渋谷警察署に訴え出てこれを拒絶したため、その目的を遂げなかつたものである。」というのであるが、本件記録並びに当審における事実取調の結果によれば、被告人藤原は肝付兼一に対し相当額に達する飲食代金等の債権を有していたが、同人が屡次の請求に対しても応じないのみか、その所在さえも明らかにしないようになつたので、被告人佐藤に対しその取立方を依頼したこと、佐藤はこれを承諾して肝付の所在をつきとめた上喫茶店プリンスに呼出し、藤原よりの委任状を示し、二、三時間に亘り右債権の支払を受けるべく談判をしたこと、その間において話の成行き上双方語気を強めて言い合つたこと等はこれを認め得るが、佐藤がいわゆる恐喝行為として肝付兼一をして畏怖、困惑させるに足るべき脅迫行為をしたことについては、これを確認するに足る証拠がないといわざるを得ないのである。元来本件は、肝付兼一がバーの女給に対し相当額に達する飲食代金等の借金を負いながら、数ケ月にもわたつてその支払を拒み、あまつさえその所在をも明らかにしなかつたというが如き態度に出でたことに第一の原因があり、同人のその態度は非難を免れないし、更に本件における佐藤との談判に際しても、肝付が言を左右にして支払を免れんと努めたので談判が長びいたと認められる節もあり、右談判の間において佐藤が多少不穏な言辞を吐いたのではないかと疑うべき点はあるが、この点に関する肝付兼一の証言並びに被告人らの捜査官に対する各供述調書の供述記載については、必ずしも信を措き難いものがあることは、前段説明のとおりであり、結局被告人佐藤のその際における言動が債権の請求、すなわち、いわゆる権利の行使として社会観念上許された範囲を逸脱したものであつたということについては、これを認め難いというべきであるから、ひつきよう本件公訴事実については、犯罪事実の証明を得ざるに帰し、被告人両名に対しては無罪を言い渡すべき筋合であるから、刑事訴訟法第三百三十六条に則り、その旨の判決をなすべきものとし、主文のとおり判決する。
(三宅 東 井波)